ハロウィンの時期が近づくと、コンビニや100円ショップでは一斉にハロウィングッズが並びだします。
このように、最近ではすっかり日本でもイベントとして定着した感があります。
でも、ハロウィンの起源は?と聞かれると、答えられる人は少ないと思います。
ハロウィンは、「アメリカから入ってきた文化」というイメージが強いですよね。
すると、「アメリカ発祥のものかな?」とか「キリスト教のイベントなのかな?」と考えがちですが、そのどちらもが違うのです。
今回は、日本でも存在感を強めている「ハロウィン」について、その起源などをご紹介します。
目次
ハロウィンの起源は?
ハロウィンは、アメリカで生まれた文化ではありません。
また、キリスト教の風習でもありません。
では、一体いつ、どこの誰が、ハロウィンという風習を始めたのでしょうか。
ケルト人のサフィン祭が有力
ハロウィンの起源として有力とされているのは、「古代ケルト人が行っていたサフィン祭」です。
「ケルト人」は、今から2000年以上前に、ヨーロッパの広い地域で暮らしていた民族です。
よって、ハロウィンを「いつ、どこの誰が始めたのか」と聞かれたら、
「2000年以上前、今のヨーロッパの地域にいたケルト人が始めた」という事になりますね。
今や日本でも当たり前となっているハロウィンが、こんなに昔の全然知らない民族の文化だったなんて、すごく意外ですよね。
ケルト人は、どうしてハロウィンの風習を行っていたのでしょうか。
「サフィン祭」とはどんなもの?
当時の時代に、まだ「ハロウィン」という言葉はありません。
後にハロウィンとなるのが、ケルト人が信じていた宗教のお祭り「サフィン祭」です。
このお祭りは一年の終わり、日本でいう「大晦日の夜」に行われるものでした。
しかし、ケルト人の新年は11月1日から始まるとされていたので、「大晦日の夜」に当たるのは「10月31日」の夜です。
これが、現在でもハロウィンが10月31日に行われている理由なんですね。
サフィン祭の目的は「収穫を祝い、悪霊を追い払う」というものです。
ケルト人は、新年を迎えるタイミングで異界から死者や悪魔、悪霊がやってくると考えていました。
死んだ人達が帰ってくるのと同時に、人間に危害を加える悪魔・悪霊もやってきてしまうのです。
そこで、悪霊を驚かせて追い払うために、仮装をしたり火を灯したりしました。
これがハロウィンの起源である「サフィン祭」の内容です。
現代のハロウィンで仮装をする理由も、ちゃんとサフィン祭に起源があったのです。
ちなみに、「特定の日に死者が帰ってくる」という発想は、日本のお盆と同じですね。
日本のお盆でも、死んだ人の霊魂が帰ってきてくれるの同時に、水辺などに近づくとあの世に引きずりこまれる、という言い伝えもあります。
2000年も昔の「ケルト人達」と、遠い距離と時間を隔てた「日本」に似たような信仰があったということは、とても面白いですね。
「サフィン祭り」は、なぜ「ハロウィン」になったのか?
さて、ハロウィンの起源が、遠く昔ケルト人のサフィン祭にあることが分かりました。
ここで疑問となるのが、「サフィン祭が、なぜハロウィンになったのか?」というものです。
名前も変わってしまっていますし、ケルト人達はどこに行ってしまったのでしょうか。
その答えは、「ケルト人が他民族に征服されてしまった」という驚きの理由にあります。
ケルト人達がいた時代のヨーロッパは、いくつもの民族が戦い、土地を奪い合って国を作っていました。
そんな時代の中で、ケルト人達は「キリスト教を信仰する他民族」に征服されてしまいます。
敗者であるケルト人達の文化は、勝者の民族の文化に飲み込まれました。
「サフィン祭」は、キリスト教の「万聖節」という文化と結びつき、「ハロウィン」へと変化していきます。
キリスト教の万聖節は11月1日に行われ、英語で「All Hallows(オールハロウズ)」と言います。
サフィン祭は、この前夜「eve(イブ)」に行われるものなので、「Hallows eve(ハロウズイブ)」となります。
この「Hallows eve(ハロウズイブ)」が少しずつ変化し「Halloween(ハロウィン)」になったと言われています。
起源となる「サフィン祭」が「ハロウィン」へと変わったのは、戦いに負けた民族の歴史が関係していたんですね。
どのようにハロウィンは広まっていったの?
現代では日本でも定着してきているハロウィンですが、どのようにしてハロウィンは世界に広まっていったのでしょうか。
当然ながら、ハロウィンは全世界共通の行事ではありません。
ハロウィンに、全く興味を示さない地域も多くあります。
では、ハロウィンが広まっている地域はどこかというと、主に「英語圏」となります。
その理由には、世界史の歴史の中にありました。
英語圏というと、まずはイギリス・アイルランドが上がります。
そのイギリスがかつて植民地としていた地域などにも、ハロウィンの文化は広がっています。
また、19世紀の初め、アイルランドにて大規模な飢饉が発生し、人々は大量の移民となってアメリカに渡りました。
この時より、ハロウィンの文化はアメリカでの大々的に認められ、大衆化していきます。
やがてアメリカ式のハロウィンは、世界に進出するアメリカの文化の一部として各国に広まっていきます。
アメリカに敗戦し、アメリカの文化を受け入れた日本のハロウィンも、これに当てはまっていますね。
これが、ハロウィンが世界に広まっていった流れとなります。
逆にこの流れに含まれてない地域は、ハロウィンの文化が広まっていない(無視している)ということになりますね。
キリスト教との関係は?
ハロウィンは、キリスト教のイベントだと思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。
これまでご紹介したように、ハロウィンの起源はケルト人のサフィン祭です。
よって、キリスト教とは本来関係がありません。
そして歴史の中で、キリスト教を進行する民族により、ケルト人は征服されました。
征服者の文化の中で、サフィン祭は「万聖節」の前夜の祭とされ、「ハロウィン」となっていきます。
しかし、ここであっても、キリスト教はハロウィンとは関係がない立場を取っています。
たまたま万聖節の前の晩が、他民族の宗教の祭りの日なのだ、ということですね。
でも、キリスト教の万聖節は、5月13日に行われていたものです。
それを、わざわざ「サフィン祭」の翌日である「11月1日」に移動させているんです。
「万聖節=Hallows(ハロウズ)」の「前日=eve(イブ)」だから、「ハロウィン」になってしまったのですから、そんな日に万聖節を移動させたのは、なんだか意図的なものを感じますよね。
この意図については、以下の二つの説があるようです。
征服した民族の反発を防ぐため、彼らの祭りを潰さず、万聖節の前夜祭として残した。
征服した民族の文化を完全に潰すため、彼らの祭り日の近くに、キリスト教の重要行事をおいた。
二つの説は意図が全く逆ですね。
現実としてハロウィンの文化は残っていますから、あえて残したのなら成功したいう事ですし、完全に潰そうとしていたのなら失敗ですよね。
という訳で、ハロウィンはキリスト教の文化ではないですが、ハロウィンが現在の形として残ってきた歴史には、キリスト教が関わっている、ということになります。
ハロウィンはキリスト教では禁止されている?
ハロウィンは、キリスト教の文化ではないので、キリスト教とは本来関係がありません。
よって、キリスト教の暦や宗教行事などには、当然「ハロウィン」はありません。
それでは「キリスト教はハロウィンの事をどのように考えているか」というと、これが複雑なようです。
キリスト教とは無関係な他の文化の行事だ、とただ無視する訳ではなく、否定的な意見を表明しているケースが多いのです。
否定の度合いは宗派により違う
キリスト教には、いくつもの宗派があります。
ハロウィンに対する否定的な見方はどの宗派にも共通してしますが、どこまで踏み込むかは宗派により異なります。
寛容なケースでは、信仰に影響を与えないよう注意は促しますが、参加自体は否定していません。
しかし、厳格なケースでは、ハロウィンへの参加を禁止しています。
日本にもキリスト教を信仰する人は多くいますので、ハロウィンはキリスト教の文化だと勘違いしていると、こういった部分で問題が起きそうです。
相手の文化にも配慮して、お互いが楽しめるものにしたいですね。
まとめ
今回は、ハロウィンの起源とキリスト教との関係についてご紹介しました。
日本でも広まってきたとはいえ、ハロウィンの起源と歴史は知らないことばかりで驚きました。
新しい文化を楽しむ時には、その歴史も知ると新しい発見がありますね。
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それでは最後まで読んでいただきありがとうございました。