保育園児も簡単!こどもの日(端午の節句)の由来・意味を子供向けに解説!

GWの最終日である5月5日は「こどもの日」ですね。

こどもの日は端午の節句とも呼ばれています。

そして家の中ではかぶと5月人形、外にはこいのぼりを飾りますよね。

かぶと、こいのぼり

 

またこの日は関東では柏餅を食べたり

 

柏餅

関西ではちまきを食べたりもします。

ちまき

 

ここまでこどもの日について簡単に書いてみましたが、「こどもの日ってなあに?」と聞かれると「うっ…」となってしまう人も多いのではないのでしょうか。

ですので、今回はそんなこどもの日に関する

  • 端午の節句ってなあに?
  • なんでかぶとや五月人形、こいのぼりを飾るの?
  • なんで柏餅やちまきを食べるの?

についてわかりやすくまとめてみたので、是非見てみてください。

これを読めば、「こどもの日」について自信を持ってお子さんに説明できますよ♪

目次

端午の節句ってなあに?

中国

「端午の節句」という言葉はおとなり中国からやって来ました。

中国では端午はもともと「月の端(はじめ)の午(うま)の日」を意味します。

最初は5月でも5日でもなかったんですね。

しかし後に、午は十二支でいう5月を指すようになります。

午

そして、端午の「午(ご)」が数字の「五(ご)」と同じ発音ということから、端午は徐々に5月5日のみを指すようになりました。

また昔、中国では奇数を陽(プラス)と捉え、奇数が重なる月は「プラス×プラス=マイナス」となり、不吉な月とみなされていました。

ですので、5月5日はよもぎで人形を作って門の前においたり、菖蒲酒(しょうぶざけ)を飲む厄払いの行事が行われるようになったんですね。

よもぎの画像よもぎ菖蒲の花の画像菖蒲

 

どのように日本に伝わったの?

この中国の文化が日本にも伝わり、平安時代には「端午の節会(せちえ)」という宮中行事が生まれました。

これは厄除けによもぎや菖蒲を編み、それに花を飾ったものをくす玉として飾ったり、くす玉を貴族同士で贈り合ったりする行事です。

ちなみに現在でもパーティで使うくす玉は、この行事が由来となっています。

薬玉

また5月と言えば日本では稲作の季節です。

稲作

日本では当時「5月忌み」という風習がありました。
これは稲の豊作を願って、若い女性たちが神社などにこもって身を清めるものです。

そしてこの5月忌みが、中国の端午の節句と混ざり合わさります。
端午の節句の厄除けとして使われたよもぎや菖蒲で、女性がこもる小屋をふくようになりました。

これが日本の「端午の節句」の始まりと言われています。

この日は女性が堂々と休める日で、女性にとっては嬉しい日だったみたいですね。

 

どのように男の子の節句に変わったの?

男の子

今でこそすこしずつ薄れていきましたが、こどもの日って「男の子の成長を祝う日」っていうイメージが強くありませんか?
女の子のための節句は3月3日の「ひな祭り(桃の節句)」がありますもんね。

これは「端午の節句」の意味合いが鎌倉時代に、大きく変化したからなんです。

鎌倉時代には宮中行事であった「端午の節会」は廃れていきます。

一方、鎌倉時代は武家時代ですので、武道を重んじる「尚武(しょうぶ)」という言葉が出てきました。

この尚武という言葉は「端午の節句」に使われた菖蒲(しょうぶ)と同じ発音です。
また菖蒲の葉の形は剣を連想させるとも言われました。

この2つの理由から、武家時代からは端午の節句は「男の子の成長を祝う日」として盛んに祝うようになったんですね。
菖蒲の葉

剣

確かに鋭い感じが似ていますね。

 

どうしてかぶとや5月人形を飾るの?

5月人形

現在では、こどもの日には家の中にかぶと5月人形を飾ったりしますよね。

これは、武家時代の風習から生まれました。

武士たちは当時、神社にお参りするときに身の安全を願って、武士の身を守る”よろい”や”かぶと”を奉納していたんですね。

その風習が受け継がれ現在でも「交通事故や病気からこどもを守ってくれるように」という願いを込めてかぶとやよろい、5月人形を飾るというわけなんですね。

 

どうしてこいのぼりを飾るの?

こいのぼり

家の中ではかぶとや5月人形、そして外にはこいのぼりを飾りますよね。

この風習は、江戸時代にさかのぼります。

徳川幕府は端午の節句である5月5日を重要な日として、将軍のお祝いをするようになりました。

また将軍に男の子が生まれると、玄関にのぼり旗をたてて祝いました。

のぼり旗は武士が戦の時に手にもつ”あれ”です。

のぼり

やがてこののぼり旗を立てて子どもの誕生を祝う風習は、町の人々にも伝わっていきます。

そしてこいのぼりを飾る風習に変わっていくんですね。

どうして鯉かというと、これは中国の伝記の「登竜門」に由来します。

中国には龍門という激流が連なる滝があり、それを登り切った鯉は霊力が宿って竜になると言われていました。

今でも「〇〇の登竜門」という形で使われていますよね。

鯉

その伝説にならった町の人々は、「我が子も元気に育ち、将来大きくなって出世してほしい」という願いを込めて鯉とのぼりをつなげたわけです。

町の人々のアイディアは凄いですね。

ちなみに、この当時のこいのぼりは和紙が主流でした。

そして大正時代には破れない綿に、昭和時代には雨に濡れても色落ちしない合成繊維のこいのぼりに変わって現在に至っています。

どうして柏餅を食べるの?

柏餅

柏餅はあんこの入った餅を柏で包んだおもちです。
こどもの日に、主に関東で食べられていますね。

柏の木は昔から神聖な木とされ、「新しい芽がでないと、古い葉が落ちない」と言われていました。

そこから「家を継ぐ子どもが生まれるまでは親は死なない」という子孫繁栄の願いを込めて、端午の節句であるこどもの日には柏で包んだお餅を食べるようになりました。

ちなみに関東中心で食べるようになった理由は、柏の木が関西にはなかったからだそうです。

 

どうしてちまきを食べるの?

ちまき

ちまきは、お餅もしくはもち米をササなどの葉で包んだ食べ物です。

こどもの日に、主に関西で食べられています。

このちまきですが、紀元前3世紀頃の中国から来ています。
このエピソードがちょっと凄いんですよ。

中国には昔「楚(そ)」という国があり、その国王の側近には屈原という政治家がいました。

屈原は正義感と人徳にあふれ、民衆からの人望がとてもあつい人物でした。

しかし、楚の国の悪いうわさを知り、国の将来に悲観してしまいます。

そして5月5日に汨羅(べきら)という川に自ら身を投げてしまうんですね。

国民は屈原の死を悼み、屈原の死体を魚が食べないように、えさとしてちまきを川に投げました。

そして今では端午の節句にちまきを食べて災いを避ける習わしになりました。

それが日本に伝わってきたんですね。

ちなみに関西中心で食べるようになった理由は、中国からちまきが伝わった当時、日本の都が関西だったからだそうです。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

子どもの日についての疑問が全て分かりましたか?

これで子どもから「子どもの日ってどんな日なの?」と聞かれても、答えられますね♪

ちなみに子どもの日は祝日法で「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるともに、母に感謝する」のが趣旨とされています。

是非この5月5日は、子どもと一緒に過ごしてあげてください(^^)

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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